ここでは、職人の経験を語っています。
私たち塗装職人が発行した「外壁塗装ガイドブック」より抜粋した経験談です。
元請け業者とはどういうものなのか?
飛び込み営業とはどういうものなのか?
営業の勉強をするために飛び込んだ、訪問販売の世界。
そこで実際に経験して、思った事をそのまま綴っています。
そうそう、職人はあまり言葉が得意ではありません。
この文章を書くのも、ちょっとだけ大変でした。
「無愛想」だったり「ちょっと怖い」そんな印象がある職人は、ただ、職人として長く働いているせいで言葉が足りず、不器用なだけなのです。
どうか不器用な職人の言葉をそのまま、まっすぐ、読んでみてください。
以前、私は仲間と二人で、小さい事務所にテレアポを雇って、事務所を開いていた時期があった。
契約もその地域ではかなり取れていた。
営業は私と仲間のみで、営業というより工事の段取りが多く、契約のアポをとるのは時間給で雇っているテレアポのパートの主婦がメインだった。
私は現場中心で動いていたが、それでも時間が空くときは、ろくに営業も出来ないのにも関わらず、見よう見まねで営業もしていた。
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一応、肩書きでは私が代表ではあったが、仕事面からの事実上の代表は仲間の方で、仲間はこれまで営業畑で歩んできたにも関わらず、私は営業経験が無かった。
アポをとった家に商談に行く時もあったが、アポも商談もろくに出来ず、ずっと職人でやってきた私にとってそれがプレッシャーになっていった。
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そこで私は会社を仲間に任せ、私はテレビで有名なあるリフォーム会社にアポ取りや商談の仕方を勉強するため入社した。
リフォーム会社といっても、仕事は高給な歩合制の飛び込み営業。
テレビの宣伝ではもちろん好感度が良さそうな、大手リフォーム工事業という感じだが、実際はりっぱな訪販会社。
午後から飛び込み営業を開始し、一日二百件近く訪問するが、歩いて八割は一言で「結構です」の断りの連続。
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初めは足腰がきつく一日あれほど歩いたのは、小学生の時の歩け歩け大会以来だ。
でも本当の営業の厳しさは足腰より精神面。
最初はきついものの、足腰はだんだんと慣れてくるが、「結構です」をそれだけ言われると次に行く家も「どうせまたダメだろう」と思うようになり、それだけは慣れるものではない。不思議にそう思うと本当に取れなくなり、悪循環に陥り精神的にもかなり落ち込んでくる。考えると分かってもらえると思うが、飛び込み営業は、名の通り知らない家に飛び込むのだから、精神的にキツイものがある。
話をする前に何度も何度も断られると、それは尚更。
訪販会社は工事より一日の売上ノルマを上げるのに必死だ。
そのノルマを達成できないと、支店であればその支店長から各営業マンに、怒号が飛ぶ。
ひどいときは鉄拳が飛ぶときもある。
「生活のためだろう。今月これだけの契約じゃしょうがないぞ」と表向きは言うが、本音は違う。
会社のために売上を上げなければ、本店からしごかれる。
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契約が命。
そして工事は二の次。
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ここの会社の場合も、工事に対して納得していないお客が多かった。
このようなお客の家に訪問してしまうとだいたい文句かグチをいわれる。
金額が大きいリフォームの場合、定期的に購入するしょうゆや味噌と違うので、一度やれば当分の間はやらない。
しかもその時期が来たとしても、もう一度同じ会社でリフォームするとは限らない。
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新規の客には尻尾を振るが、すでに工事が終わって工事金額を回収しているお客のクレームには気が向かないので処理もほとんどしない。
それ以前に訪問しに来た営業マンに工事のクレームを言っても、契約をとってなんぼの世界だからクレームを会社に報告してもメリットがないので会社に届かない。
「会社に電話しても来ないから、前に来た営業の人にも言ったのよ」と言っても報告してないのだから来る訳ない。
だから激怒しているお客も少なくない。
実際、消費者センターから連絡が来たことを何度か耳にしている。
私と同時期の営業マンはお客の主人から玄関先に引っ張られ、家に閉じこまれたこともある。オーバーではない。
今は知らないが、当時はそういう状況だった。
そんな家に訪問すると、それがダメ押しになり、アポを取りに行っているのに何も言わないうちに叱られてはやる気が失せてくる。
そんな状況の中で徐々にだが会社の実態が見え始めてきた。
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アポ取りから契約を取るまでの営業は、少しかもしれないが一通り身になった。
しかし身になった反面、利益を上げる為だけの営業が大部分を占め、アフターフォローもやらず私の想像していた営業とは正直少し違っていた。
それよりテレビで宣伝している会社が高額な金額にもかかわらず、安い工事をして、その工事を受けているお客をまの当たりに見たとき、テレビは怖いと思ったのと同時に、高感度の高い有名人を起用しているテレビで有名な会社が、そんなことをしているという事実に対し、世の中こんなことが普通に当然のごとくまかり通っていていいのかと、信じられない気持ちで本当に不思議でならなかった。